
記憶が脳に書き込まれる過程は、現在の心理学の一般的な理論では2段階だ。つまり、短期記憶(数秒から数十秒)で覚えたものが長期記憶に入れば、その記憶は半永久的に脳に残る。今回の学説から考えると、少なくとももう一段階あるのかもしれない。
ハエ(Drosophila, fruit flies)を使い、物事を記憶する時に脳がどう変化するかを調べた。ある匂いを嗅ぐと電気ショックが来ることを古典的条件付け(パブロフの犬式の関連付け)を使って記憶させた。
すると、記憶してから最初の5~7分間は脳のうちの匂いに関する部分(insect's antennal lobe)の神経細胞が活動していた。しかしその活動は7分程度で治まり、そして次には別の部位が活動する。DPM神経細胞は記憶後の30分から2時間に活動が見られた。
この研究を僕なりに解釈すると、記憶は長期記憶として半永久的に脳に定着する前に、別の過程を経るという見方もできるだろう。これは先週の記事「練習の後はしっかり休む」とも一致する。先週の記事の場合は筋肉の記憶だったけどね。匂いの記憶でも筋肉の記憶でも短期記憶と長期記憶の間の過程があるのが面白いね。
しかしひとつのことが分かる(または仮定されると)と疑問が山ほど出る。他の感覚から入ってくる情報ではどうなんだろうか?中期記憶があるとしたら記憶は3段階だけなのだろうか?もっと多くの段階に分けられるのだろうか?それは一つの道筋なんだろうか?それとも短期記憶から一部は長期記憶に直接行くのだろうか?長期記憶が活動するまでの30分(ハエの場合)は記憶はどこを辿っているのだろうか?人ではこの時間はもっと長いのだろうか?
その辺は情報を見つけ次第追っていきたいです。
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関連する過去の記事:
同じ研究者の昨年の研究「記憶の過程を顕微鏡で見る」(しんりの手)
記憶の仕組みに新理論。記憶は複製、消去されている。(しんりの手)
思い出した直後は忘れやすい(しんりの手)
練習の後はしっかり休む(しんりの手)
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検索キーワード:心理学、認知心理学、short term memory, STM, long term memory, LTM, working memory, cognitive psychology, 神経科学、認知神経心理学、生物学、分子生物学、細胞生物学、dorsal paired medial (DPM) neurons、感覚記憶、

抗うつ剤(antidepressant)は服用し始めてから2週間ほどしないと効果が現れ始めない。なぜこんなに日数が掛かるのかは未だメカニズムが解明されておらず、不明だ。しかし今回の研究を見ると、それは軸索などの神経組織が形成される日数なのかもしれない。
抗うつ剤で有名なものにはプロザック(prozac)、ゾロフト(Zoloft)、パクシル(paxil)などがある。しかしこれらの薬がなぜ効くのかは分かっていない。効くから使っている、というのが現状だ。今回の研究はそのメカニズムの解明に一歩迫るものだ。
不可解なことの一つに、効用の表れる時間差というのがある。抗うつ剤は一般に、セロトニン(serotonin)などの神経伝達物質(neurotransmitter)の数を増減することで鬱の症状を制御すると言われてきていた。しかし薬を服用し始めれば神経伝達物質は即日で変化が見られる。なので鬱の症状も即日で制御できそうなものなのに実際は鬱を抑えるのには2週間から4週間を要する。
今回ラットの脳の発達を観察したところ、抗うつ剤が前頭葉(frontal lobe)の軸索(axon)の発達に関わっていたようだ。なので抗うつ剤の効用が最低でも数週間を必要とするのは、薬が軸索などの形成を促し、その形成に数週間掛かっているのかもしれない、というのがこのニュースの内容。
面白いニュースだ。つい2週間ほど前に院生の同僚とこの話をしたばかり。プロザックの悪い噂(これはそのうちに改めて書きます)とか、なんで効果が数日で現れないのか、とか。神経科学は日進月歩で、ついこの前まで疑問だったことが今日にはもう解明への道を開いちゃってるんだもんな。神経科学ってすごいなぁ。
元のニュース:Johns Hopkins Medicine: POPULAR ANTIDEPRESSANTS BOOST BRAIN GROWTH, HOPKINS SCIENTISTS REPORT
検索キーワード:心理学、神経科学、認知心理学、クリニカル心理学、臨床心理学、アンチ・ディプレッサント、ジョンズ・ホプキンズ、Vassilis Koliatsos,

筋肉記憶(motor memory)というのがある。運動の記憶と訳されている場合もある。これは筋肉の特定の動きを覚える記憶で、技術の記憶とも言える。自転車の乗り方などがこの筋肉記憶の一例だ。
今回の研究では、新しい筋肉記憶を覚えようとした時の神経細胞の動きを追うことで、記憶の定着度を見ようとしている。
これによると新しい筋肉の動きの練習をした後の6時間は、この筋肉の動きが記憶として脳にまだ定着していない。なので筋肉の別の動きを学習すると、一つ目の筋肉記憶は薄れたり忘れられたりしてしまう。
これが6時間を越えると筋肉記憶は定着し、10年経ってもその記憶を再現できるという。
ふーん、これは応用価値が高くて面白い研究だな。
まず記憶の定着について。記憶した後に睡眠をとると覚えられる、という研究があるけれど、あれは睡眠自体が良いという理由の他に、単に惑わす別の記憶を仕入れないで時間を置くことが良いのかもね。
それとこの研究は運動部の練習に応用できそうだな。例えば柔道の投げ技とかを覚える時には一日に一つの技だけを練習する。練習時間の一番最後に新しい技を覚えて、その後は別の投げの動作を行わない、とかね。または変な癖が付く前に、別の動作を教えてその変な癖を記憶に定着させないとか。
上の応用例はちょっと飛躍してる気が自分でもする。今回のような基本的な研究からはこの応用の効果には疑問があるけれど、いろいろと将来が楽しみな研究分野。ピアノの稽古とか野球の練習とか。野球とかに企業は年間に何十億円も払ってるけど、こういう研究にもお金を注いでくれないかな。と、さりげなく自分の将来の就職先を増幅させる発言をしておく。
学期末で未だに激務なんでコメントやメールの返事はもう少し待ってください。皆さんコメント、メールありがとうございます。
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元のニュース:Practice makes perfect, but so does taking breaks
検索キーワード:心理学、運動、知覚心理学、認知心理学、運動心理学、スポーツ心理学、skill-based performance, Henry Holcomb, University of Maryland, PET, positron emission tomography,

この研究者はサル(monkeys)を使って、記憶を使う時の海馬(hippocampus)の反応を調べた。海馬は記憶を形成するのに使われる部分として知られているが、この研究によると記憶を思い起こす(retrieve)時にも海馬は同様の反応をした。このため、海馬は記憶を形成する時のみならず、記憶を思い起こすのにも使われているようだ。
うーん、わからない。こういった新しい研究(この研究は2004年)でも海馬は記憶の形成に使われるって解釈だよな。じゃあ先月紹介した海馬を除去しても学習できる人は何なんだろう?今回の研究を素直に信じれば、海馬を取っ払ったら新しいことの学習や昔の記憶の再生に支障が出ることになるんじゃないのか?
ちなみに僕のこの解釈は、脳の局在化(localization, phrenology)という考え方で、脳の部分部分は特定の機能を持っている、という考え方。しかしこの脳の局在化という考え方は最近は否定され始めてきている。この件に関してはとても面白い本(下記)をいま読んでいるので、近いうちに紹介予定。今年読んだ数百冊の本の中でも一番か二番に面白い本。関連する記事(しんりの手アメブロ)
ところで今回の研究者はNYU(ニューヨーク大学)の人なんだけど、NYUとかのしっかりした心理学部の研究者ならきっちり最新の動向(海馬は無くても記憶ができるかもしれないということ)を抑えて言及しておいて欲しいな、というのが個人的な気持ちだ。

ユータル「新・脳の局在化」
さて、今は学期末で本当に忙しいんで、もうへろへろです。僕が学部にいた時は学期末は授業に追われている感じだった。あの頃は英語もろくに分かんなかったんで授業に付いていくのが精一杯って感じだった。
それに比べて院生になると学期末は楽しみが増えて困るんだよね。この2週間くらいで10頁くらいのペーパーを6個ほど書くんだけれど、ペーパーの内容(=授業で習った内容)が興味深すぎて、つい関連のある論文を読み込んでしまう。授業から少し脱線したそういう心理学の読み物の方が自分の研究に関わりが深くて面白いんで、時間を奪われまくってます。
他の留学生の人たちはどうなんだろう。僕は学問を楽しむまでには語学的に何年も掛かったけれど、それでも心理学はやはり英語の文献が最先端だと思うんで、英語で学んできて良かったなぁと最近しみじみと感じているよ。
今は記事を書くのに手一杯ですが、コメントには時間ができた時に答えさせていただきます。皆さんいろいろなコメントをありがとうございます。
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関連する過去の記事:
「加齢と記憶」ラーズ・バックマン(2001年)
記憶の種類とその衰え方の差について。
海馬を切除しててんかんも直って、学習もできる
新しい記憶を覚えられなくても習慣は覚えられる